父が眼の手術で2週間程入院するというので、昨日・今日と休暇をとって実家に帰っている。
3年前頃から病院に行く機会がやたら増えた。近い身内の誰かが常に入院してるような印象。その間わたしは一度も医者にかかってないけど。


父の手術は眼科としてはかなり長時間の部類だったようだが、特に問題無く終わりひとまず安堵。ただ術後数日はうつ伏せでいなくてはならず、それが大変なようだ。枕に顔を埋めて寝ている様を見ると、申し訳ないが笑える。「な、泣いてなんかないんだからねっ!ちょっと、休んでるだけなんだから…」みたいな風情。59歳のオッサンなわけだが。
病室は6人部屋。なんとなくそれぞれの役割が出来上がっている。黄門様、助さん、角さん、八兵衛、弥七という感じ。父は軟派な助さん。八兵衛役は別にいた。


父は体自体はピンピンしているので、どちらかといえば実家の祖父母の世話をしている。祖母はボケてはいないのだが寝たきりで、毎朝注射を打ってあげなくてはならない。祖父がやろうとすると嫌がるそぶりを見せるのに、わたしだとガマンする感じになるのがいじらしい。


父がいないので、祖父と2人だけで晩酌。昨日も今日もたっぷり2時間くらい話を聞いた。いちばん興味深かったのは祖父が軍に徴集された時の話。昭和20年8月15日に赤紙を受け取り、いざ任地に赴こうとしたらラジオで玉音放送が始まり、カオスな状況の中で結局行かなくてよくなったそうな。いろいろ複雑な感情があるようで、単純にラッキーという話ではない口ぶりだった。あとは真っ裸で受ける徴兵検査の様子とか。
話を聞きながら、戦争のことを当事者から直接聞けるのは我々の世代が最後だと気がついた。できれば息子にも祖父の口から聞かせてやって欲しいものだが。


明日は自宅に戻って、息子の1歳の誕生日を祝う所存。
そんな14日。

もはや日記というより年記といった風情。今年のことをあえて書き残してみる。


1月、待望の第一子の出産に立ち会い。産まれた瞬間は「すげー!」というのが率直な感想。その後おくるみに包まれた息子を初めて抱いた時に、今まで経験したことのない気持ちになった。嬉しいとか愛おしいとか楽しいとか、そういうのがまったりと混ざり合いそれでいてしつこくない。いくらでも入る感じ。


長男誕生の2日後、2歳下の従妹の最期に予期せぬ形で立ち会った。覚悟せざるを得ない、という容態になって初めて連絡をもらい、あわてて見舞いに行ったその日に従妹は亡くなった。人の臨終に立ち会ったのは初めてだった。一人娘を亡くして憔悴しきった伯父伯母を慰めつつ、後のことを一緒に手続き。今まで経験したことのない気持ちになった。2日前の出来事とのあまりのギャップ。


2週間後、従妹の一人暮らしの部屋を片付けるのを手伝った。伯父伯母に加え従妹の彼氏も来ていた。彼は従妹の闘病をずっと支えていたが運悪く葬儀後まで従妹の死を知ることができず、それをとても悔いていた。伯父伯母は彼の存在を娘の葬儀後に知り、やはりそのことを悔いていた。わたしの存在が場の空気を少しでも和らげていた、と思いたい。


夏、58歳で母が逝った。昨年から癌で入退院を繰り返していたのだが、今年の6月からいよいよ調子が悪くなりそれからの衰えぶりは早かった。面倒を見ていた父自身も目の調子が悪く、病院から入院を勧められる状況。実家には年老いた祖父母(祖母は寝たきり)。一人息子としては割と追い詰められた感じになった。父が目の治療で入院中、休暇をとって母の介護をしていたら祖母の容態が急変。救急車呼んでそのまま入院したときは、祖父と2人で笑うしかなかったなあ。


いったん仕事に戻っていた8月上旬の金曜日、父から母がいよいよ危ないとの電話。当然ながら父はすぐに帰ってきてほしいと言うのだが、わたしはあえて帰らなかった。いずれにせよ翌日土曜日には帰る予定であったので、今日は帰らないと。
正直、死に目に会えなくても仕方ないと覚悟していた。もし確実に看取りたければ長期の休暇をとってずっと付き添っている必要があったが、先が見えない状況でその判断はできなかった。肉体的にも、精神的にも、あえて言えば経済的にも。傍から見てる人には親不孝と映ったかもしれないが、父は私を親不孝とは言わなかった。それで良い。
結局母は翌日の晩までがんばってくれた。おかげでわたしは親不孝者にならずに済んだ。


母の死後、父との会話が格段に多くなった。これまで必要以上の話をあまりしてこなかったせいで、会話がいまいちしっくりこない。が、今さらどうしようもない。お互いに行間や真意を汲み取りながら話していくことになりそう。あと30年経ってもたぶんそんな感じ。祖父と父を見ているとそう思う。ということはわたしと息子もそうなるのかしら。


いろいろあった中で、息子の存在は本当に大きかった。家族全体を暗い空気が覆いそうな状況で、皆が息子を見ると笑ってた。この子は今年生まれるべくして生まれてきたのだ、と思っちゃうくらい。まあ救われたわね。真冬に息子を産み、真夏に乳飲み子を抱えて実家に居残ってくれた妻にも助けられたわね。


本当にクソ暑い年だった。
そんな2010年。

駅からの帰り道、携帯で話してる女性がいた。いわく、「まず掃除機かけな。それ絶対ほこりとかもあるって」ちょっと強めな説教口調。

うちの近くまで来たら別の女性が携帯で話してた。いわく、「そういうのムリだから言ってんじゃん」若干キレ気味。

あのふたり同士が会話してたのかなあ。ほこりのせいでかなりヤバいことになってるぽいけど、だいじょうぶかしら。

あけましておめでとうございます。今年の年末年始は曜日まわりがよくて9連休。ゆっくり仙台に帰省してたくさんモチ食べた。


12月30日

昼過ぎ仙台駅着。中央通や一番町をブラブラ。17時から串鳥で飲み納め。北海道を離れて以来3年ぶりくらいに行ったが、串鳥のクオリティは少しも変わってなかった。素晴らしい。
その後定禅寺通で光のページェントを視察。こちらは10年以上ぶりか。ワイフが「ヒカペー」と略すのに閉口しつつ帰宅。


12月31日
母方の実家に顔出し。祖父母に線香、叔父叔母にお土産、従兄弟の子供らにお年玉。帰宅後静かに年越し。紅白、白組の圧勝ぶりに笑う。敗因は仲間由紀恵だと思う。


1月1日
実家近所のシネコンで映画。正月から騙し騙されのスパイ映画。午後は温泉でサウナ。毛穴からいろいろ出る。夜は買ってきたガンダム漫画をガン読み。


1月2日
6時過ぎに家を出て仙台初売へ。朝早くから人が多くて楽しい。アディダスの福缶、藤崎の福袋×2、菓匠三全の福袋を購入して10時過ぎに帰宅。午後は昼寝。夜はNumberの最新号をガン読み。


1月3日

またもや朝から映画見る。正月から人類が滅ぶようなパニック映画。映画終わって外に出たら、駐車場でサンドウィッチマンが営業してた。おもしろー。同郷人としてかなり応援しています。がんばっていただきたい。
夕方の新幹線で帰京。


1月4日
神田明神に初詣。いつも思うけど、いい意味で商売っ気の盛んな神社だ。おみくじは末吉。今年は信心深くつつましく生きねばならない。


というわけで今年は淡々と、定期的に、チョコチョコ書いていく所存。昨年までサボっていたライブやスポーツの記録も少しずつ補完していく予定。あと岡田斗司夫氏の例のヤツを始めてみます。
正月は人をやる気にさせるなあ。ずっと正月だったらがんばれるのに。
そんな4日。

今日から夏季休暇。扇風機置いて、ソファに寝そべって、ずっとテレビ見てた。午前は北島康介の金メダル。午後は鈴木桂治の一本負けと内村航平の銀メダル。夕方は甲子園の仙台育英。そして今は野球の台湾戦。まあアレだ、スポーツ大将って感じだ。

今回のオリンピックで今のところ印象に残っているのは谷亮子かなあ。今までで一番必死だったように見えた。テンションを無理やり上げようとしていた感。闘争心が爆発しなかったのは、年齢のせいなのか母性のせいなのか。ただ、3位決定戦の払い腰と試合後のインタビューには強さを感じた次第。いろいろ言われることも多いけど、まあアレだ、すごい人だわ。

サッカーは今回もダメだった。サッカーには悲壮感が足りないと思うのです。「負けたらマジでやばい!」っていう切羽詰った感じが、アジア予選ではすごく伝わるけど、世界大会だと無くなる気がする。その点やっぱり野球や柔道の方が応援しがいがあるよ。まあアレだ、単に好みの問題かもな。


現在星野JAPANは9回表の攻撃中。4点とって勝負を決めた。9回裏の上原を見届けて寝よう。
明日は4時起きでRSR

そんな14日。

  

先週末京都に行ってきた。猛暑の嵐山を堪能した。数年ぶりにかき氷食べた。宇治抹茶味。京都に限らず、奈良とか滋賀のあたりは、駅名が歴史の教科書に出てくる地名ばかりで楽しい。写真は嵐山ではなく、八坂神社の枝垂桜。左が今回、右が今年の4月に撮ったもの。次行くのはいつかしら。

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わたしの夢には頻繁に有名人が出てくる。最近は佐藤浩市と飲んだりした。
で、24日の夢についに最高のVIPがあらわれたのです。

天皇皇后両陛下が市井のスーパーを視察される、なぜかわたしはその案内役。天皇陛下から「ダージリンの紅茶はどこですか?」と尋ねられて「はい!こちらです!」とか。あと皇后陛下はあるチョコレート菓子が大好きとのことだったので、店員に「おい!これ在庫全部持ってきて!ケースで!」って頼んだ。大人買い

目が覚めてからあまりのハイパーぶりに笑った。他にもいろいろあったのだけど、あまりヘンなこと書いて怖いメールが来ても嫌なのでやめておこう。菊タブー。


あと同じ日の夢で映画も観た。「吉野家の店員と、そこに集まる客たちの青春群像」みたいなやつ。殺伐とした雰囲気はあまりない。ラストシーンはこんな感じ。

いつものようにワイワイ騒いでいる客たち。店員が「静かにしろ!おいそこ!カウンター入るな!」と怒鳴っている。するとそこに美人のお客さんが一人で入ってきた。客たちは途端に静まり、中央の席をあけて美人さんを迎え入れる。席に着く美人さん。お茶を出しながら「いらっしゃいませ。ご注文は…?」ラストカットは店員の満面の笑み。で、エンドロールへ。

エンドロールで流れた主題歌のメロディまで覚えている。歌詞は「いつものおにく」とか「こいつはとってもうまいぜ〜」とか。作詞作曲はたぶんオレ脳内。
ちなみに店員役はホンジャマカ石塚。美人のお客さん役は田村英里子。微妙なキャスティングー。


夢が精神状態の現れだとしたら、どう解釈したらよいのだろう。

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VMCで録画したPE’ZのPV集にハマっている。今週末は外に一歩も出ずに、PE’Zと野球中継を見ながら過ごした。思い立って久々に日記を書いたら、アップする直前にPCがフリーズして泣いたりもした。


来週はRIJF
そんな27日。


おまけ。

第75回日本ダービー、第122回目黒記念 於東京競馬場


ディープインパクトジャパンカップ以来、約2年半ぶりに競馬場へ。いい天気で大変気持ちがよろしい。13時過ぎに着くなり早速ビールを飲みながら馬場内でぼんやり。昼食は持参したおにぎり(Lサイズ)2個で済ませるはずだったのだが、我慢できずにアメリカンドッグを購入。買い食い大好き。超腹いっぱい。


気づいたら15時をまわっていたので、ダービーの馬券を購入。ディープスカイマイネルチャールズを蹴飛ばして買ったものの、パドックと返し馬を見て正直嫌な予感。で、結果はやはりディープスカイの圧勝。大外をぶん回して勝つのだから、他の馬とはレベルが違うんだろうなあ。蹴飛ばしてごめんなさい。


しかしながら、個人的な今日のメインイベントは最終レースの目黒記念天皇賞で本命にしたホクトスルタンで鉄板だ!という固い決意のもと、人気サイドの3連複一点勝負をかけようと思っていたのだが。なんか表彰式の四位騎手を見ていたら、最終レースも持っていかれそうな気がして、彼の馬を買い足してしまった。
結果はガチガチの本命サイドで決着、当初の予想どおりだったよ、あぁ… 買い足してごめんなさい。


ちうわけで結局全然プラスにはならなかったけど、数年ぶりに馬券が当たったのでよしとする。配当はともかく、当てることが大事だ。次走は宝塚記念(at後楽園)の予定。